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旧呉鎮守府司令長官官舎ほか

 煉瓦色の似合う町,旧海軍の施設を訪れる

 広島県呉市は戦前,造船と兵器製造を特徴とする旧海軍区の機関として近代日本の激動の歴史とともに歩んだ町である。戦後は,日本初の大型タンカーを建造するなど造船技術を通して経済復興に貢献した。

 実質的には梅雨明けした7月27日,猛暑の中を旧海軍呉軍港施設を見てきた。
 JR呉駅から駅前通りを線路と平行に東へ10分ほど,右折して鉄道のガードをくぐると煉瓦敷きのなだらかな上り坂の美術館通りにでる。松並木と歩道脇に並べられた彫刻を見ながらブラブラ行くと入船山記念館入り口に着く。
 この一帯は,市街地にありながら昔からの自然林に囲まれた静かな雰囲気の地で,記念館敷地内には,「旧呉鎮守府司令長官官舎」「旧呉海軍工廠塔時計」「旧東郷平八郎邸」などが保存公開されている。
 

 旧呉鎮守府司令長官官舎 【国指定重要文化財(1998.12 指定)】
旧呉鎮守府司令長官官舎

 木造平屋建てで裏側に居住用の和風建物がある。洋館部は外観に英国風(ハーフティンバー様式*2)を取り入れ,屋根は天然スレート(粘板岩)の魚鱗葺き。正面向かって左側が応接室,右側が執務室となっている。
 

 1886(明治19)年に第二海軍区鎮守府(*1)が,呉に決定され埋め立て・造成・水道・道路・病院などの都市施設の工事が海軍によって行われた。
 1889(明治22)年に,この入船山地区に「軍政会議所兼水交社(海軍の社交場)が建てられたが,1905(明治38)年の芸予地震で崩壊したので同じ場所に建てられたのが呉鎮守府司令長官官舎である(竣工1906年)。終戦後はイギリス軍司令官官舎として使用され,1956(昭和31)年撤退後,呉市が譲り受けて,入船山記念館のメイン施設として現在に到っている。なお築後90年老朽化が著しくなり1992(平成4)年〜1995(平成7)年保存・修復作業が行われ,建築当時の建物が再現されている。

 *1 鎮守府 : 旧海軍の地方機関で佐世保・呉・舞鶴・横須賀の各軍港に置かれ,担当区域の警備,艦隊に必要なものを準備する中心機関。司令長官は,大将や中将が選ばれたという。

 *2 ハーフティンバー : 木造建築の様式の一つで,梁・柱などをそのまま外部にあらわし,その間の壁を石材・土壁などで埋めたもので,イギリスで15世紀から17世紀半ばまで盛んに行われた。ドイツやフランス・北欧にもその例が見られる。

応接室

 玄関から広間,廊下にかけての腰壁と応接室及び客室の壁並びに食堂の壁と天井には,日本で数箇所にしか現存しない金唐紙が使用されている。1995年の修復ではその総てが復元・修復された。また玄関から裏手の和館にかけての廊下の壁は淡いオレンジ色の「曙漆喰」となっている。室内の家具・ストーブなども忠実に再現されており,格調高い雰囲気に圧倒される。
玄関扉

 錨と桜の花模様のすりガラスが入れられ,その周りにはステンドグラスが嵌め込まれている。
和風住宅部(奥の座敷)

 
家族の居所として使われた場所で,畳廊下を境として南北に分かれ南側に座敷2部屋,北側に内玄関,炊事場,台所,茶の間,使用人部屋があり奥に座敷4部屋が田の字型に配されさらに離れ座敷があり,全部で9部屋ある。座敷には床の間や違い棚,付け書院,押入れなどが設けられている。壁は土壁で聚楽仕上げまたは漆喰仕上げで錆色・鶯色,土色の3色が使われている。屋根は桟瓦葺き。

 参照ウエブサイト : 広島県 ARECHITECTURAL MAP 旧呉鎮守府司令長官官舎 

 
 旧海軍呉鎮守府庁舎 (現海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎) 
旧海軍呉鎮守府庁舎

 煉瓦と御影石の組み合わせた美しい色合いが素晴らしい。外壁の煉瓦はイギリス積み。延べ床面積1,990uの呉市の代表的レンガ建物。
 

 入船記念館を背に市民広場(旧練兵場)脇の並木道を5分ほど南へ向かうと港を望む丘の上に一群の煉瓦建物が見えてくる。旧海軍鎮守府があったところだ。現在は海上自衛隊呉地方総監部となっている。
 1988(明治22)年に竣工した初代庁舎は芸予地震で被害を受け,1907(明治40)年,地下1階地上2階建ての2代目庁舎が建設された。 中央部は基礎から屋根まで彫刻が施された花崗岩が使われ頂部にドームが据えられている。しかしドームは,太平洋戦争中の空襲で焼け落ちてしまった。 戦後,イギリス駐留軍が使用し,返還後,呉総監部第一庁舎となった。1999(平成11)年ドームが復元され54年ぶりに元の姿に戻り,今も呉のシンボル的存在となっている。
 日曜日には,見学会が催されるとの事であるが,わたしが訪れたのは金曜日,門衛の若い自衛官に,ことわって少しだけ中に入れさせてて貰い,庁舎外観のみをカメラに収める。

 参照ウエブサイト : 呉のランドマーク 海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎 

 戦艦大和を建造したドック跡
 旧呉海軍工廠跡
 
 炎天下を汗をかきかき,ペットボトルから水分補給を何度もしながらバス一停留所を歩いて,「歴史の見える丘公園」へ。
ここには「戦艦大和之塔」「正岡子規句碑」「造船船渠記念碑」「呉海軍工廠礎石記念塔」などがあるが,どれも客寄せのため粗製濫造気味,安っぽい感じがするもので興味なし。それより戦艦大和や長門など,多くの艦船が建造された大型ドックや,旧海軍工廠跡と呉湾が一望でき,海軍華やかなし頃の様子にしばし想いを馳せる。
 
 ここから旧海軍工廠跡方面へは徒歩でも行ける距離ではあるが,バス停で時刻をチェックすると,折りよく10分程で江田島行きバスが来ることが分かり,たった三停留所間であったがバスを利用した。
 着いた所が「アレイからすこじま」

 旧呉海軍工廠があった一帯は,現在,IHIとか淀川製鋼とか日新製鋼の工場や海上自衛隊潜水艦教育訓練隊施設などとなっている。港の一角に,旧海軍が魚雷などを潜水艦に積み込むために使用していたクレーン(奇跡的に戦火をまぬがれ,戦後もしばらく稼動していたという)が,今はモニュメントとして設置してあるが,往時の面影はわずかしか残っていない。

戦艦大和建造ドック

 旧呉海軍工廠の造船ドックは「アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド呉工場」と名を変えて操業している。戦艦大和を建造したドックは,平板工場に改装されたが大和建造中,機密保持のため一部を覆った大トタン屋根の骨組み(高さ49m)は当時のままだそうだ。
旧呉海軍工廠電気部赤レンガの建物群

明治30年代前半に呉海軍造兵廠水雷庫などとして建造されたもの。その後電気部関係の工場として使用,空襲を受け戦後民間の倉庫などに転用されている。
 
 参照ウエブサイト : 広島県 ARECHITECTURAL MAP 旧呉海軍工廠 


 時間に余裕があれば,旧海軍病院であった国立呉病院の裏手にある,「旧海軍の水道施設であった浄水場」(1900年築造,現在呉市水道局宮原浄水場として現役)や江田島まで足を延ばして「旧海軍兵学校校舎」なども見たかったが,またの機会とする。
 仕上げに,昨年4月にオープンした「大和ミュージアム」で,映画「男達の大和」に使われた”戦艦大和1/10模型”や”呉の歴史”・”船をつくる技術”などの展示を見学する。戦争賛美ものではないかといささか危惧して入館したが,戦時下の市民生活とか呉と原爆などにも触れていて杞憂であった。
 呉発午後5時前の快速電車で帰路につく。暑い一日であった!